東京高等裁判所 昭和28年(ネ)1470号 判決 1956年4月27日
控訴人 野村市次郎
被控訴人 鶴岡守夫
主文
原判決をつぎのとおり変更する。
被控訴人の第一次請求はこれを棄却する。
千葉県長生郡南白亀村(現在白子町)浜宿一二〇二番地所在の木造萱葺平家建本家一棟建坪四十二坪五合が控訴人の所有であることを確認する。
被控訴人は控訴人にたいし前項の建物の所有権移転登記手続をなすべし。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴人は、原判決をとりけす、主文第三項記載の建物が控訴人の所有であることを確認する、被控訴人は控訴人にたいし、右建物につき、昭和六年一月十六日受付第八六号でした昭和六年一月十四日は売買による所有権取得登記を抹消する手続をなすべしとの判決を求める(第一次請求)、この請求が認容されない場合には、原判決をとりけし主文第三項第四項と同旨の判決を求める(予備的請求)と申立て、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張<立証省略>は、控訴人において、被控訴人先代鶴岡鶴松は昭和二十四年二月十四日死亡し、被控訴人は相続によつて右鶴松の権利義務を承継したと述べたほか、原判決事実らん記載のとおりである。
理由
主文第三項記載の建物が(以下本件建物とよぶ)もと、控訴人の所有であつたこと、この建物につき、控訴人と鶴岡鶴松とにより、昭和六年一月十六日受付で、鶴岡鶴松のために、同月十四日付売買(かりに本件売買という)による所有権取得登記がなされたこと、右鶴岡鶴松が昭和二十四年二月十三日死亡し、被控訴人が相続により右鶴松の権利義務を承継したこと(他の相続人は、すべて相続の放棄をした)、よつて被控訴人が本件建物を占有することは本件当事者間に争がない。
控訴人は前記登記の原因とされている売買についてこれは当事者相通じてした虚偽の意思表示であるから無効であると主張し(第一次請求の原因)、また、担保の目的をもつてしたものであると主張する(予備的請求の原因)。これに対し、被控訴人は本件建物は右昭和六年一月十四日真実、被控訴人先代鶴松において控訴人から代金二百五十円で買受けたもので単純な売買であると主張する。
ところが、(一)、右売買の後である昭和八年と昭和十二年とに、控訴人がその費用を支出し、職人などを雇つて本件建物の屋根の修繕をしたことが、原審証人斉藤富作同鶴沢清吉同野村実当審証人高山長寿の証言によつて認められ、(二)、原審証人斉藤富作同伊藤和夫当審証人伊藤和夫の証言をあわせてみると、昭和十七年中以後控訴人が人をもつて本件建物の返還を請求した際に、被控訴人はただその延期を求めており、昭和十八年九月に控訴人からの請求にたいしてはじめて本件建物の所有権を主張するまでは、被控訴人の所有に属する旨の主張はなかつたことが認められ、(三)、当審証人斉藤富作の証言と弁論の全趣旨によると本件建物は農漁村の村落にあるもので、一区画をなす控訴人所有の土地の上に、本件売買後も控訴人の所有に属する倉庫物置とともに存するおもや(本屋)であつて、これらひとそろいで一個の屋敷構えをなしていると認められる。(四)、成立に争ない乙第一号証によれば本件建物は右登記の直前たる昭和五年十二月二十九日付で控訴人により保存登記がなされているが、この時の物件の価格は金七百円とされており、当審における鑑定人渡辺清一郎鑑定の結果によれば本件売買当時その場所に存在するものとしてその価格は金千百三十五円と認めるべきことが明らかであるが、被控訴人主張の売買代金は金二百五十円である。
右(一)(二)の事実は、もし、本件売買が単純な売買で、これによつて被控訴人に建物の所有権を完全かつ終局的に取得させる趣旨のものであつたとすれば、とうていあり得ないことであり、また、市街地とはちがつて農漁村落地帯では、(三)に説示したような家屋敷構えのうちおもやだけを、とりこぼち移転の目的ではなく、そのまま存置する目的で売り切りにする、買主に終局的に所有権を取得させる売買をすることは、通常の事例でない(これは公知の事実)のに、本件売買が例外に属するものであることを認めるにたりる特別の事情は認められない。のみならず、もし本件売買が売り切りであつたとすれば、これを存置する敷地について、土地所有者たる控訴人と被控訴人先代の間にその範囲を明確にし、賃貸借などの土地使用権限のとりきめがなされるべきすじあいであるところ、かような敷地の範囲を明確にした事実を認めるべきなんらの証拠もなく、敷地を賃料年額五十円で賃借した旨の当審証人鶴岡すゞの証言は信用できず、その他にこれを認めるべき証拠は何もない。また右(四)の事実によれば被控訴人主張の売買代金はいちじるしく当時の物件の価額より低いものであるにかかからず、この点を合理的に説明し得るような特約の事情は本件においてこれを認めるべきものがない。以上の事情を考えあわせると、本件売買は、被控訴人主張のような単純な売買であるとはとうてい認めがたい。
では、どういう売買であつたかを考えるに、原審証人斉藤富作同今関明同伊藤和夫同野村実同安川弥太郎同鶴岡千年当審証人伊藤和夫同吉原重蔵の各証言(後記信用しない部分を除く)当審本人尋問における控訴人本人の供述の一部、成立の真正につき争のない甲第二、第三号証の各一ないし十一、同じく乙第二号証の一ないし七、前記(一)ないし(四)の事実をあわせ考えるとつぎのとおり認められる。
控訴人は昭和五年中アグリ網漁業に従事する便宜上、それまで住んでいた本件建物から海岸近くに所有する納屋に移り住むこととなつた。他方で被控訴人先代はもともと本件建物所在の旧南白亀村出身で、他に遊学して医師となり、一時大原町で開業していたところ、おさなともだちである控訴人その他の村人に迎えられて同村に移つて開業したが、その住居は満足すべきものでなかつた。そこで、本件建物を被控訴人先代の使用に供することは両者にとつて好都合であつたので同年中控訴人から被控訴人先代にたいして、賃料は年額五十円の定めで本件建物を賃貸することとなり、よつて被控訴人先代は本件建物に移り住み、ここで医業に従うにいたつたが、その少し前ころ控訴人は被控訴人先代から金二百五十円を利息年一割の定め、返済期の定めなく借用したところ、当時控訴人は訴外某から民事訴訟を起されており、敗訴した場合には強制執行をされて財産を失うおそれがあるとしてその所有のある不動産を仮装売買によつて訴外今関明所有名義としたり、また他の不動産を訴外石原重蔵え仮装質入れしてその登記をしたりしたほどであつたので、前記二百五十円の借用金債務についても履行できなくなり結局被控訴人先代にめいわくを及ぼすにいたることをおそれて、本件建物を右債務の担保に供することとし、その目的をもつてこれを被控訴人先代に売り渡し名義をもつて所有権移転登記をしたもので、それが昭和六年一月十四日の本件売買及びその登記である、とかように認められる。控訴人本人がその本人尋問の際に売渡担保にあらず、もつぱら強制執行免脱のために所有名義を変更したのである旨つよく供述するのは、当時控訴人は前記の強制執行免脱の必要をつよく感じて本件以外の不動産について前示の仮装工作をしたほどであつたので本件建物を売渡担保とすることは、結果として被控訴人先代以外の債権者からの強制執行をまぬかれる手段になるので、控訴人は心中につよくこれを意識していたことが推測され、後年になつてその意識の方がつよく記憶によみがえつて、しらずしらず、売渡担保を否定し、通謀虚偽表示であると強弁するにいたつたものであろうと思われ、控訴人が本人尋問における供述中前示認定に反する部分は採用に価せず、その余に控訴人主張の通謀虚偽表示の事実を認めるに足りる証拠はない。成立に争ない乙第一号証(権利証)が被控訴人先代の手中にある事実はむしろ本件が売渡担保たることを確かめるに足りる。本件にあらわれた証人の証言中右認定に反する部分はすべて信用しない。その他右認定をうごかすほどの証拠はない。
以上の次第で、本件売買後の本件建物は控訴人の所有に属しないのであるが、他面被控訴人先代も所有権を取得したとはいえ、その所有権は、債権担保の目的にのみこれを行使し得るとの制限をうけ、債務者たる控訴人が債務を弁済しおわるときは控訴人え復帰すべきものであるということになるのであるが、被控訴人は仮定抗弁として、被控訴人先代は時効によつて所有権を、債権担保のためという条件なく、取得したと主張する。しかし前認定のとおり、被控訴人先代が占有をはじめたのは賃借人としてであつて他人たる控訴人の所有であることを知つていたのであるから、「其ノ占有ノ始善意ニシテ」(民法第一六二条第二項)とはいえず、また、その後債権担保のため所有権を取得した際にあらためて占有を始めたと認めるべき資料はなんら存しないのみならず、かりに、この時あらたな占有を始めたとしても、被控訴人先代は、その取得した所有権を債権担保の目的のためにのみ行い得るとの制限を、前所有者たる控訴人にたいする関係において負担するものであり、事実関係にして右のとおりである以上当該当事者たる被控訴人先代としては当然かような関係を知つていたものというべく、かような関係を知つていることは、前示の「善意ニシテ」というにあてはまらないと解すべきである。右事実関係にも拘らず被控訴人先代がこれを単純な売買によつてなんらの負担のない所有権を取得したものと信じ、さような意味において自己のためにこれを占有したものであることを認めしめる特段の証拠はない。
したがつて、被控訴人先代の占有は、民法第一六二条第二項の要件をそなえないし、昭和十九年十月本件訴の提起によつて時効中断されたので、期間の点で同条第一項の要件をみたさないので、時効の抗弁は採用することができない。
よつてすすんで控訴人は債務を弁済しおわつたかどうかの点を考えるに、控訴人が昭和十九年八月二十八日前記借用金の弁済のため供託としたとの控訴人の主張は、被控訴人の明かに争わないところであるから被控訴人において自白したものとみなすべきものである。前段説示のとおり、すでにそのころには、被控訴人先代は本件売買をもつて単純な売買だと主張し、金員を控訴人に貸与したことは認めないのであるから、控訴人が弁済の提供をしたとしても、受領を拒まれることは明かであつたのであるから、まず提供して拒まれたとの事実は認められないにかかわらず、前記供託は弁済の効力を有すると認められる。控訴人は、これを元金の弁済に充てたと主張するようであるが、前記のように本件貸借については年一割の利息の約定があるから、もし、右供託当時利息債務の末済があるならば、まずこれに充てられるべきこと、民法第四九一条の要求するところである。よつて利息債務の存否を考えるに、当審の本人尋問における控訴人本人の供述によると、本件建物賃貸借の賃料年額五十円のうちから被控訴人先代が家屋税を支払い、残額を控訴人の収入とすべき旨の約定であつたが、未だかつて一度も支払を受けたことはないということであり、当審証人鶴岡すゞの証言によると、控訴人家は家族も多く、控訴人の妻と長女は病気勝ちであつたのみならず、漁業上の使用人はいつも三、四十人もあり、その中から被控訴人先代の医療をうけるものもあつて、控訴人は毎年相当多額の治療費薬価債務を負担したのであるが全然支払請求もうけないし支払もせずに永年過してきたということであること、原審証人野村実の証言及び弁論の全趣旨をあわせ考えると、控訴人と被控訴人との間では貸金の利子、治療費薬価、建物使用による賃料相当の利益(被控訴人先代支払の家屋税額控除残額)は被控訴人先代が家屋税を支払うほかは、すべて正確な数額によらず全部的に相殺して、たがいにやりとりなしとする合意が暗黙のうちに成立したものと認めるのが相当である。したがつて、前記供託の時において控訴人はなんら利息債務は存しなかつたと認められ、前記供託は元金に充当され、控訴人の借用金債務は全部消滅したと認めることができる。債権担保の目的をもつて被控訴人先代に移転した本件建物所有権は右の債権消滅と同時に当然に控訴人に復帰し、被控訴人先代は、控訴人にたいして所有権移転登記をなすべき義務を負うにいたつたのである。
かような次第であるから、被控訴人先代鶴岡鶴松の包括承継人たる被控訴人にたいする控訴人の第一次の請求は理由がないものとして棄却するのほかないけれども、その予備的請求は理由あるものとして認容すべきものである。したがつて控訴人の第一次並に予備的の請求をともに棄却した原判決は相当でないことになり、変更をまぬかれない。
よつて、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九六条第八九条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判官 藤江忠二郎 原宸 浅沼武)